すんのブログ

ヤフーブログよりお引っ越ししました。 まだまだ慣れないですがどうぞよろしくお願いいたします♪

母のこと…

明日は母の四十九日の法要です
明日で母が逝って47日…
まだまだやっぱり淋しいし涙もでる…それでも私なりに頑張っています

私なりに母の人生振り返ってみました

母は祖父祖母の一番最初の子供として生まれました
母の家庭は、とても貧乏な家庭で、母は小学校しか学校へ行ってません
小学校もろくに学校へ行けず、お金持ちな家庭の子守りや掃除などに行っていたそうです
そこでご飯を食べさせてもらったけど、その家の方は暖かいご飯、でも母は、冷えたご飯に、冷えた丸天1枚でご飯を食べてたそうです
掃除してる後ろから、その家の方が、どんな風に仕事してるのか、後ろからずっとついて回られてたと母が言っていました
あの頃は辛かったと…

母は勉強がしたくて、当時の小学校の先生に「古い教科書でもいいから、先生なんとかして教科書ください!そしたら学校へ行けるから」と頼んだそうです
でも、先生は何もしてくれなかったと…
母は当時、友達が学校終わって帰る頃、友達に会わなくてすむように、わざと遠回りして家に帰っていたと聞きました
自分だけ学校へ行けてないんだもの…辛かったと思うんです…

そして19歳の時、父と結婚しました
父は先妻と死別、それでも父と婚約しました
婚約など終わってから、父には二人の子供がいることを知らされました
当時の母は、騙された、自分には大きな二人の子供の母親になる自信がない
だから結婚やめたいと言いました
でも、母の父(祖父)は首を縦にはふりませんでした
「もう結納も済んで、何もかも決まったこと、もうお前には帰る家はない!」と…
母は結婚して、何度も家に泣きながら帰ってたそうです
でも祖父が無理矢理タクシーに乗せて家に返していたと…通夜の時、叔母からそう聞きました
タクシーの後ろから、姉ちゃんは(母のこと)ずっと遠ざかる家と、自分のこと(叔母)を泣きながら見ていたと…

とうぜん、子供達も母になついてくれるわけもなく、それでも母は必死に、母なりに頑張っていたと思います
やがて母も子供を授かり、兄二人を生みました
そして私を授かった時、先妻と父との間に生まれた兄から「子供ばかりゴロゴロ生んで!恥ずかしいから生むな!」と…
貧乏で生活が苦しかったこともあり、母は泣く泣く私をおろそうと病院へ行きました
そこで医師に「おろすなら1日入院してください、じゃないとおろせません」と言われたそうです
当時、家にご飯炊きがいなかったので、1日家を開けることもできず、そのまま病院から帰ってきました
そして私が生まれました
「ご飯炊きがおらんかったけ、あんたを生んだけど、あんたを生んでホントに良かった」と…いつも母はそう私に言ってました(笑)

最初に脳内出血で倒れて半身不随になった時、母が「退院したら、すんちゃん家に行きたいな~」と…
私は兄達に「今までばあばはずっと苦労してきたんだもん、だから、ばあばの行きたい所に行かせてあげようよ」と、そう兄達に話をもちかけました
そして我が家で一緒に住むことに~…
我が家で5年間ほど一緒に暮らしました
やがて私も生活の為に、仕事する為に、母は施設へ入りました
当時の私は、母のこと追い出してるようで…それが辛かったです

私が幼稚園行く前に、父が病気になり、母はほとんど病院へ付き添い
その間、母の妹(叔母)が家のご飯など作ってくれました
家が貧しかったので、兄達は幼稚園へ行ってないけど、私だけ、1年間幼稚園へ行かせてもらいました
正確に言えば、私の守りをする人が誰もいなかったから幼稚園へ行かせたと言ってました(笑)

そして私が8歳の時、父が亡くなりました
それからずっと42年もの間、母が頑張ってくれました
私と腹違いの兄も、父親代わりになって、仕送りもしてくれてました
そのおかげで、兄二人と私は高校へ行けました

腹違いの兄とは、滅多に会いませんが、母の通夜告別式には来てくれました
昔、母のこと「ままはは!」と言い、いろんな事があったけど、当時の兄の気持ちも無理もないですよね…ある日とつぜん「今日からこの人をお母さんと呼びなさい」と言われても呼べるわけないものね~…今なら当時の兄の気持ちがわかります~
そんな兄が、母の為に涙を流し、母のお骨をいっぱい拾ってくれました
1年以上、何も口にしていない母の骨は小さく、いっぱい骨をかきあつて納めまてくれました
その時の光景がジーンとして忘れられません
母のこと、ままははだと言っていたけど、それでも母のこと親だと思ってくれてたんだと…私にはそう思えました
そして帰りには、私の家により、私の亡くなった旦那にも手を合わせてくれました

こんな感じで、最後は皆に見守られ、母は天国へ旅立って行きました

明日の四十九日の法要も、また皆揃って納骨します

熊本から兄も来てくれて、今日明日と兄の家に泊まります

また明日、母の思い出話をしながら、母を忍びたいと思います

ばあば、これからも私達のこと見守っててね
ばあばお願いね~

大好きな母へ。。。